知ってる人はよく知ってることだけど、世間的にはあまり知られていない話に「実は生き物というのは死んでから3度までは人生を巻き戻すことができる」というものがある。

但しこの人生の記録というものの媒体が酷くアナログなものなので、巻き戻しに時間がかかるうえに再生しながらでないと思い通りのところで止められないらしい。

しかも一度巻き戻すと今度は「そこからちょっと進めて欲しい」という要望には応えることができないため、たいていの人は<一度目の巻き戻し>では<巻き戻し過ぎ>を体験するという話だ。

この<巻き戻し過ぎ>というのがくせもので、普通は「大事なところまで戻れないなら意味がない。巻き戻しが足らないよりは巻き戻し過ぎのほうがまだマシだ。だってほうっておいても目当てのところまでは行き着くんでしょ。」なんて思いがちだけど、もともと人生をやり直すために戻ってるだから<ほうっておいても目当てのところまでは行き着く>なんて保証はない。

<戻りすぎたところ>から<本来戻りたかったところ>までの間にも沢山の分岐点があって、<本来戻りたかったところ>に行き着くまでに前回と違ったバタフライ効果が出てしまうと、その手前で新しい人生に進み出ることになる。

だから<やり直したいところから、やり直す>というのは大変難しいらしい。

だいたい一度目は巻き戻し過ぎ、二度目は一度目の反省から巻き戻しが足らず、じゃぁ三度目はタイミングがピッタリがあって上手く止まるかというとそういうものでもないらしく、殆どの人は「最後は人生一からやり直してみたい」といって画像も見ずに完全に巻き戻してしまうそうだ。

ところがここに誤解があって、というかおそらく知らないからなんだろうけど、人生の記録媒体というのは人生ごとに分けられたものではなく、<巻き戻しきればその人生の最初から始まる>というものではないらしい。

その多くの場合が前世を記録しており、その前には前々世を記録していたりして、しかも途中から媒体を交換していることがよくあるので、<巻き戻しきった媒体の最初は何かの人生の始まり>というものでもないらしく、だから<今世を最初からやり直すつもりが前世の終焉をやり直すハメになった>というのがあるという。

しかしまだそんなことはマシな方で、全く関係のない記録の途中から重ねられていたら最悪で、<何の関係もない何かの何か>をやり直すことになるそうだ。

<何の関係もない何かの何か>とは何なのか。
きっとそれを体験した人が、在りもしない地獄というものを想像したんじゃないのかな。

デジャブじゃないだろうけど、このテキストこれまで三回ぐらい書いたことあるような気が…。